あの日、あの時間、5年前のボクはパソコンに向かっていました。
2010年の8月に独立をして、半年が過ぎたぐらいの頃でした。
今から5年前…
2011年3月11日の14:50頃、机に座って作業をしていると突然の揺れが!?
湯布院はあまり地震が無いので「なんか久しぶりに揺れたな」って感じでした。
その後、TVやネットで地震の情報が次々出てきて愕然としたのを覚えています。
実は宮城県石巻市の酒蔵で働いている友人がおり、携帯に電話してもメールしても返事が無く 色んな手段を使って調べましたが、結局は京都の酒屋さんから無事に避難している旨の連絡を頂いて涙が出たのを思い出します。
個人的にそれは良かったのですが、その後福島原発の事故もありボクはショックを隠せませんでした。
安心・安全でクリーンなエネルギーとして小さい時から身近にあった高浜原発
ボクの出身は最近ニュースにもなっている、あの高浜原発がある福井県高浜町です。
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ちなみに物心つくまでは、恥ずかしながら街に一つ原発はあるモノだと思っていました。
それぐらいボクの地元にとても根付いている産業なんです。
▲保育所の時から何度か関西電力主催の「原発について」の劇を見た事がありました。▲
なので小さい頃から、原発になんの疑いも無く過ごしていました。
それに習字の時間には「原子力発電所」なんて書いてた事もあったし。
ボクの中では原発のイメージはとても良く、将来関西電力の原発の仕事に就く事が地元のステータスですね。
そう、この事故が起きるまでは…。
再度冷静になって考える
「原発」
その言葉を聞いただけで拒否反応をおこし、否定する人はたくさんいるでしょう。
今までお世話になってたかも知れないのに、あっさり手のひらを返すかのように。
ボクは原発の全てを否定する気はさらさらありません。
18年間高浜町で生まれ育ってるし、身内や親族もお世話になってますからね。それに大分県はお隣の愛媛県に伊方原子力発電所もあり、他人事ではありません。
そりゃ身近に原発を感じず育った人にとっては、拒否反応以外のナニモノでも無いのは分かります。
ひょっとしたらあの3.11の日、日本海側で地震と津波が起きて福井県が…高浜原発がやられていたかも知れません。
個人的な意見を言うと、再稼働はアリ。
そして稼働させながら、原発に頼らない手段や廃炉にする技術を模索して行けたらよいなって思うんです。
今ほおっておいてもお金を産んでくれませんし、技術者なんて育ちません。
「原発反対」
この言葉に解決策は含まれず、まさに思考停止です。
「より深く、より具体的に。」
これだけテクノロジーが発達しているので、この日本が原発を卒業出来る様に変化をして行けたらと思いますね。
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